アプリコットな日々

気長にブログ始めてます。

隙間時間の成果物。「睡眠こそ最強の解決策である」も読んでるよ

「この一月を一言で」と聞かれて、答えにつまった。日記帳でこの一月を振り返っても何とも脈絡がない。ブログもこの間、いつもより書いた頻度が多いが、一言で何と言おうか?ただ一つ手がかりがある。1月の11日から毛糸の靴下を編み始め、今日、一足出来上がったのだ。隙間時間の成果物である。睡眠不足による不調のあれこれ。そんな中、生活にメリハリをつけようと、今年から始めたある計画は、何とかこなしたし、お菓子も作ったな。でも持続感がないのであった。

靴下を編んだことは編んだが、これもまた、持続的ではなく、隙間時間に少しずつ気乗りせずに、退屈しながら編んだのでした。いつもなら、幸せな気持ちに包まれて黙々と編み続けるのでしたが、何とか本日、編み上げました。この一月の締めくくりとしましょうか。今日になって、最後の10段と、つま先、かかとを一挙に編み上げました。ラストスパウトです。そうしますと、わだかまりも薄らぎ、気持ちも落ち着いてきた。何足も編めるだけ編もうと思っていましたが、やる気が出たぞ。

停滞の理由は、寝不足がいちばんの要因です。今は、それを最優先事項として、生活を立て直しているところでありました。そう、それには確かに持続性がある。睡眠には、長年問題を抱えており、睡眠の本もずいぶん読んでいるが、今、こんな本を読んでるよ。

かなり説得力のある本です。これも本来なら一気読みできるくらい興味が持てる本でしたが、スイッチが切り替わったかな?

と言うことで、まずは一区切りつけ、次は実のあるひと月に。

ではまた。

履くとこんな感じに。

おやすみの時に履くと心地よい。

人の心を知りたければ漱石でも読め!

 

、、、と漱石の小説を読んで思った。全部書き尽くされているではないか。漱石に限ったものでもないだろうが、ほんの数冊いや5作品、読みかじったくらいなら10作品くらい読んで、そう直感したぞ。Kindleのアプリがお持ちの端末に入れてあるなら、気の利いた読むに便利な漱石全集のKindle本がある。

国語辞書を調べると、例文としてよく漱石の文が出てくる。例えば、「迂闊」を調べたとする。すると、1、2、3と意味合いが微妙に違う解釈が出てくる。そこに夏目漱石彼岸過迄「最も迂闊の様で、最も簡便な又最も正当な方法で」”と出てくる。さてそれは、どんな文脈で使われているか知りたい。そんな時、Kindleは便利。検索機能があるのと、また本書籍は、目次も気が利いていて、標準機能の目次の他、主要作品のリンク付き年表も付いている。

日本の文学を読んでいて思うのは、全てとは言わないが、単なるストーリーだけではないという事。私がはじめて漱石の本「それから」を選んで読んだのは、高校の夏休みの読書感想文の時であった。何を感じて、何を書いたか全く覚えていないが、面白いという感銘だけの余韻は残ったことは確かだ。一応、恋愛ものであったことは記憶している。その後、その作品は、「三四郎」、「それから」、「門」と、” それぞれが相合して一長編を構成するように仕組んだーー(漱石)” ものということを知り、また最晩年の「彼岸過迄」においてもそれが試みられているそうだ。

さてそれで、まだ若いうちに「三四郎」と「門」も読んだ。男女の話だったこともあり面白かった。しかし、それはストーリーとして。それらはそれきりで、大人になってからは、再読していないので、なんとも言えないところもあるが、他の作品をパラパラ読むと、艶かしいまでの美しい描写、リアルな心理、その上に展開されるストーリー。登場人物、そしてあらゆる描写は、完成形と言ってもいいと思う。知的さと鋭い洞察。

社会心理学で学んだことだが、漱石と鴎外を比較して、漱石は、本音の世界を描き、鴎外は建前の世界を描いた(多分そんな講義だったと思う)と「坊ちゃん」を例にとって解説していた。鴎外は「舞姫」だっただろうか?(不確かです)。多分そんなところに面白みがあるのでしょう。

私も大分大人になった。改めて、漱石を読み返してみようと思う。いやもう読み返し始めている。漱石は、明治という時代の空気を感じるのにも良い。当時としての現代小説であったのでしょう。しかし、人間の心理はいつの時代も変わらない。

人情モノとも違う、感動モノとも違う、それには、漱石の人間観に基づく鋭敏な人物描写と、それを巧みに操りストーリーが展開されるという面白さがある。これは確かだ。ジャンルとしては純文学となる。

 

社会保障についてよく知ろう

あっという間に9月も過ぎ10月になりました。季節もやもやしたまま、ひと月が過ぎたような感じでしたが、皆さんはいかがでしたでしょうか?

今、社会保障についての本を消化中なのですが、社会保障といえば、今月から最低賃金が変更になり、それに伴い年収の壁問題が発生するとのことで、政府の対応策として、一人当たり50万円を事業主に助成する、といった措置が取られるそうですが、2年間という時限的措置で、上辺だけ取り繕っただけであり、これを機にでも、社会保障について根本的な議論、解決策が練られることが必要だと関心を深めているところです。

今、手元に社会保障関連の本が3冊あり、その内1冊は、まず一回読み終え、2冊目を半分のところまで読んでいるところなのですが、3冊全てを読んでみてから、改めて考えなどを提示できればといいな思っております。

1冊目もとても良い本だったので、ここにご紹介を。入門編としてお薦めできるかと思います。

これ1冊を読みますと、予備知識ができますので次の本が読みやすくなりました。お役に立てれば幸いです。

今読んでいるのは、日本の社会保障システム: 理念とデザイン

この本は、日本国憲法の理念をベースに、社会保障について網羅的に検討、説明がなされています。実際の統計が示され、検討・説明がなされています。初版が2017年の9月ですので、その分の制度について遅れている部分もありますが、ほぼ制度を理解する上で有益だと思います。内容は、目次から拾うと、

第一章 日本の社会保障システムの理念

第二章 年金システム

第三章 医療保障システム

第四章 介護保険と高齢者福祉ー財政調整と財政資金の投入

第五章 社会福祉システム

終章  21世紀の福祉国家のグローバル展開

となっております。

あと1冊、まだ未読ですが、これまでの理解を深めた上で最後に読むに相応しい感じがします。

本書籍の帯には、”年金を改革し介護保険をつくった異能の元厚労官僚による憂国の書、書き下ろし!” との見出しがついています。

*****

今盛んに取り上げられている年収の壁問題。一見すると、だったら年収の上限を損しないところまで上げればいいじゃないか、とも思いますが、恐らく話はそう簡単にはいきません。人口の高齢化で、保険料の収入が減ることで、これまでの前提が崩れてきている、待ったなしといったところ。国庫の負担は増し、増税もやむ無しです。税は全ての国民にとっての関心事。増税増税と揶揄されてますが、小手先の議論に終始している余裕もなさそうです。社会保障という基本的人権に関わる必要最低限のこの優れたシステムを失わないためにも、よく理解しておいた方がいいと思う次第です。

 

ファスティングにご興味ありますか?

ファスティングって、やったことありますか?体質や体調によっても合う合わないがあるかと思いますが、私の場合、1日の断食でいろんな面で効果がありました。初めてだったので、ちょっと無理もありましたが、、、。今、2回目(週1回、つまり1回目の断食から1週間経った2回目、つまり2週目の断食)の朝で、朝昼晩とファスティングのドリンクを作りまして、その1本目を飲んだところです。

ほぼ毎日、テレビをつければ、テレビショッピングのQVCをチェックするのですが、毎度やっている、◯坂流ファスティングのドリンクを、この度買ってみましたよ。「ファスティング =断食」だという事はわかっているものの、一般の定説なるものには疎く、まずは、番組のデモンストレーションに納得できたので買っておき、それから、いざ始めるにあたって、ネットで、いくつかやり方の例を参考に、始めてみました。

私の場合、体力の問題もあり、1日だけやることにしました。目的とするところは、お腹の脂肪を減らす事でしたが、ファスティングとは、本来、療法としても用いられているものなのですね。それと、目的の一つとして、胃腸を休める事。これが現代医学と照らし合わせても第一のようです。これによって、体がリセットされ、多方面に効果が現れるそうです。

さて、ネットだけですと、やはり情報が足りませんので、本も探してみました。すると、良い本が見つかりました。『月曜断食 「究極の健康法」でみるみる痩せる!』です。すでに1日断食を実行後に届いたものでしたが、まさに実感したことがそのまま書かれており、大変納得できました。自分としては、間違いないと思えます。”言える”と言いたいところですが、まだこれで2回目開始ですからね。本によると、週1回で月4回行うことをまず勧められています。またもう一つ大事なのは、始める前とブレイクファスト、つまり、断食後の食事(回復期)に気をつけること。休まったお腹がびっくりしないよう、食べ物に慣らすよう、本では、ヨーグルトをしきりに勧めていますが、私は、自分なりに、無理のないよう、おかゆを作って食べました。

太った原因は、無理な食事だったと言えばそれまでですが、そんな贅沢な飽食とは違い、お腹が空いてなくても1日3食食べると、体重が1キロ2キロと増えていくのでした。無理して食べなくてもいいでしょ?と思われるかも知れませんが、実は、ものが全く喉を通らなくなったことがありまして、それが、3年くらい続きました。今でもまだ、その後遺症みたいなものがあるのですが、なんとかしっかり普通に食べられるようになり、それで出されたものは、しっかり食べるようになっていて。食べられなくなった時期は、体重がどんどん減っていき、恐ろしかった。太る怖さより、痩せる怖さの方が大です。皆さんもお体大切になさって下さいね。

さて、そして、体組成計(いわゆる体重計にいろんな測定機能がついたもの)もこの度用意しまして、初めて測ってみましたよ。体重、BMI体脂肪率、筋肉量、推定骨量、内臓脂肪レベル、基礎代謝量、体内年齢の8項目です。割と健康的な結果が出ました。やや肥満気味ではありました。お腹が出ているので内臓脂肪も気になっていましたが、標準値でした。一安心です。

ドリンクを入れるために、自室の冷蔵庫にスイッチ入れて。家電から出る騒音レベルがちょっと気になるレベルなので、夜は、耳栓をして。ファスティングには、睡眠の質の向上だとか、婦人科に良かったりとか、嬉しい効果が期待できるそう。これも医学的に理にかなっていることらしいです。私事ですが、確かにこの1週間で2回、7時間以上の睡眠がありました。以上ご参考まで。

 

30年前に買った本、今愉し

失われた10年とか30年とか主に経済の面において言われたりしますが、私の人生においても、まんざら他人事なワードでもないのでありまして、しかしそれは、置かれた境遇での意味合いでして、その中で、七転び八起き、心は大きく成長したかのように思われます。言うなれば、脱皮がなされた、といったところでしょうか。自己啓発なるものは受け付けませんが、自ずとその時期みたいなものが定められていたープログラムーされていたのでしょうか。

人生にはなんらかの制約がある。それは家庭であったり、学校であったり、社会であったり、政治であります。人は、自由を求めるけれどもそれにも限界がある。今の政治が酷いから認めたくない気持ちもわかるが、世の中すべて”政治的”である。果たして政治家にその自覚があるのか?あまりにも好き勝手に物事を決めすぎだ。自覚があるなら意図的だろうし、ないならないで非常に憂慮すべき事態である。

マイナンバーカードをどうする?だの、国民の大切な預貯金をどうか投資に促すよう要請?だの、何とまあ、認識が浅いと言わざるを得ません。少子化対策についても、根本原因が分かっていないというか、税金を取ることしか考えていないのでしょう。

話が遠回りになりましたが、書きたかったのは、政治の話ではなく、この30年の間に、私は、何を求めて生きてきたのか、という事でありまして、その原点は、30年前にありました。興味の対象の基本路線は変わっていませんでしたが、何しろ、”失われた”30年ですから、ブランクがあるのです。今、書棚から、その頃に買って読みかけの本を手に取って、最初から読み始めたところです。買った当初は正直にいうと、あまり良く理解できなかったんですよ。ある程度の予備知識が必要な本だったんですね。本に翻弄されるのが嫌で、途中で辞めたのでしたが、今ならしっかり受け止められる、そんな期待を持って読んでます。邦題は『動物論―思考と文化の起源について』となっていますが、学問書ではなく、深い知識と洞察に基づいたエッセイといった感じ。(原題は『Thinking Animals - Animals and the Development of Human Intelligence』)今現在は、古書としてしか手に入らないようですが、図書館にはあるかと思います。お勧め本というより、個人的な意味で、タイムリーな本だったというだけの話です。面白く読めそうなので嬉しさから、ちょっと書いてみました。以上です。

 

倫理を通して改めてAIを考えてみる。『AIの倫理学』(M.クーケルバーク著 )を読んで。

技術の進歩と倫理、道徳というのは、車の両輪の関係だと思う。これなくして世の中は、一事が万事綻びだらけとなる。政治経済然り、環境問題然り、家族関係も然り、つまりは人間関係然りだ。

さて、ここのところ衝撃を持って伝えられているChatGPT。ChatGTP自体は「弱いAI」に含まれると思うが、そもそものAI(人工知能)の倫理について一度しっかり捉え直した方が良い思い、以下の書籍に当たってみた。

①『AIの倫理学』(M.クーケルバーク著)、

②『AI新世 人工知能と人類の行方 (文春新書 1371)』(小林亮太 篠本滋著)、

③『AI 2041 人工知能が変える20年後の未来 (文春e-book)』(カイフー・リー、チェン・チウファン著)

②、③は後にして、まず、①の『AIの倫理学』を読んでみた。本ブログは、そのまとめというほどまとめてはいないので、まぁその感想です。

本書は様々な立場(主義とか思想)とを対立させ、論じられていたりもするのですが、結論としては、「AIに知恵を委託することはできない」となります。しかし、トランスヒューマニズムやポストヒューマニズムなど馴染みの薄かった概念についても詳しく述べられていたり、AIの未来を語る上で欠かせない用語も登場し、問題点がはっきり理解できました。

例えば、スーパーインテリジェンスというのは、「機械が私たちの知能に勝り、私たちを支配するようになる、という考え」(技術的シンギュラリティ、特異点)だったり、トランスヒューマニズムというのは、「人間のアップグレード(能力強化。可能なら人間が死なないようにする)」など。これらからわかるのは、こうした考え方は、AIの登場以前からあるもので、そもそも、同じ方向に進んでいるとは言えないということ。未だ、統一された理論ではないということであるようです。それを「近代に生じた根深い分断」として、「啓蒙とロマン主義ヒューマニズムとトランスヒューマニズムヒューマニズムとポストヒューマニズム」これら3つの対立を論じられてもいます。これらについても、大変よく理解できるものでした。簡単に説明すると、啓蒙とは、要するに科学革命を意味するとの理解で良いでしょうか。ロマン主義というのは、本書においては「科学から謎と不思議を取り戻す」となり、ヒューマニズムとは、人間中心主義を言い、ポストヒューマニズムとは、ヒューマニズムへの疑問、異議申し立て、となります。これらの対立があるということですね。

さて、AIは道徳を持てるかとの問いには、決してありえないが、実際には、「道徳的行為者性」を持ったものもあるとする。例えば、災害救助犬のようなものや、迷惑メールをフィルタするロボットなど。

この他、AIの「透明性」と「説明責任」についても必読に値します。「AIがどのように意思決定に至ったかがわからない。これこそが責任に関しての問題」、「いわゆるブラックボックス問題」を指摘し、深刻な倫理問題だと主張されています。

また、第10章では、政策提言についてが論じられ、EUや北米などの政府、技術系企業、技術者、学会、NPOなどから、「大量の指針や政策文書の雪崩現象が起こった」こと。そして、こうした中で、「信頼性を備えたAI」が目標に掲げられているということです。ここで言う信頼性とは、人間の尊厳、人権尊重、個人の自由、民主主義の尊重、法による支配と正義、市民の権利などで、また、倫理原則としては、慈善性と無危害性、自律性、正義、説明可能性が挙げられています。

終わりに、「実践的知恵」(人の生命としての知恵との理解で良いか?)は、「状況的な経験や実践に基づいて養われる」ものであって、「AIがさらにどのような方向に発展するにしても、知識や学習の発展に挑むのは、私たち人間である。人間こそがそれをしなければならない」、「AIは、パターンを認識することは得意だが、知恵を機械に委託することはできないのである」と結ぶ。

最後には、安心できた。

以上です。

 

文化と世相を考える。「文化地理学講義 <地理>の誕生からポスト人間中心主義へ」を読んで

唐突ですが、先日、ムツゴロウさんの訃報がありました。何かここのところ、偉大な方々が逝去されてゆき、不穏な世相と重なることで、より一層この時代に立ち向かってゆかざるを得ない覚悟というものを感じています。私達に今、何ができるのか。何が求められているのか、自らを省みて問うことも必要なことかもしれません。かく言う私はと言いますと、これまた、非常に辛かったりするのですが、そんな自分を棚に上げながら、世の中について考えるという行為をもって、自らを昇華させたまわんことを願わんとす、であります。

 

今日は、統一地方選挙の投票日でした。お天気はよかったのですが、風が強く、薄手のパーカーに帽子をかぶって、投票に行ってきました。投票率は年々下降し、50%を割っているようでありますが、まぁ、落ち着くところへ落ち着くでしょう。さて、最近『文化地理学講義』という本を読んだのですが、私達は、まさに、文化によって作られた地理上に生きている。なるほど、文化というものは、人が作ったものだが、人を作るものでもある。また自然とは、純然たる自然と、人と共生する自然、そして、作られた自然があると定義される。私達が生きている世界、生きる上で認識されるものと、されないもの、そういったものを全て含んだ世界、そういう漠然と意識される世界というのもを、本書は言葉、概念として再認識させてくれる。文化としての地理とは、極めて政治的であり、特権的であり、暴力的であると。その際たるものは、戦争なのでしょうが、日常も政治的であれば、教育も政治的でもあるでしょう。極めて学問的に捉えたならばですね。

 

形而上という概念も、何も神や霊魂のようなものを意味するのではなく、「西洋形而上学的」な捉え方というのがあるということを本書で知りました。これは、植民地主義や、女性差別などに繋がる前提的考えであり、本書では、殊にジェンダーの問題やフェミニズムについて、非常に明快な視座を与えてもくれました。最後には、ダーウィンのミミズの研究を引きながら、「文化地理学とは文化をとおした人間の活動が地表面に残す痕跡を記述する学問である」と解き、その心は、「わたしたちは有機体であると同時に、『地質学的生』なのである」、そして「地は生きる者たちに土地、温度、水分、時間などの機会と条件を提供する『コズミックな力』を有し、それによって生きる者たちを変容させつつ、生きる者たちの触発を受けながら、ともに何かになっている。脱領域化と再領域化を繰り返しつつ、刺激し、変容する大地の力(ジオパワー)と生あるものの折り重なりを読み解くことが、『文化』の地理学なのである」と結ぶ。

 

とは言うものの、私達は、今を生きなければならない。人間としての生があります。生活があり、文化があり、平和な社会に生きています。人間の心というもの、平穏であるよう願いたいものです。

 

もしもし、アナタハ カミヲ シンジマスカ?

サブで心の灯火というブログを開設しているのですが、

新しい記事を書きましたので、ここにお知らせいたします。

twinkling-stars.hatenablog.com

私は、大変信心深いのですが、毎日、飼い犬だったわんこちゃんの遺影に手を合わせ、お祈りしております。

半分冗談ですが、心を神に委ねて、万物の神にして唯一絶対の神にその日1日が無事であることそしてまた、世界平和のためにお祈りしております。

この度、ルターの『キリスト者の自由・聖書への序言』を読みまして、キリストが、いかに重要か、単に神と同一視するのでなく、人としてお生まれになった意味、その重大さを改めて知ることとなりました。またプロテスタントでは、そのように考えられているのだなということも知ることができました。

また、ルターの改革の核心についても知ることができます。まさにカトリックに対する異議申し立ての論文だからです。

50ページほどの論文ですが、説得力に満ち、また愛にも満ち、その熱意のほどが伝わります。この他、聖書への序言も収められており、聖書に慣れない人への最良の手引書となることでしょう。

私は、福音書の方は良く読んでいたのですが、新約聖書に収められている使徒言行録や使徒たちの手紙などは、一応、読んでおこうくらいな気持ちでしか読んでいませんでした。

ところが、ルターにとっては、それこそが、まさに信者としての拠り所だったのでしょう。なぜなら、彼もまた、同様に、キリストを信じる敬虔な使徒たらんとする人だったからです。カトリックにおける戒律を学び、善を行い、懺悔する中で、生じた違和感。それを大いに悩んだ末に信仰こそ、すべての救いであると確信したのでした。今の私たちにしてみれば、当たり前かも知れませんが、そんな異議申し立ては、当時としては掟破りだったのです。そして、その戒律や律法を熟知していたからこそ、パウロの手紙や、福音に暁通し得て、福音を良く理解し、使徒の手紙の価値を良く理解できたのでしょう。

アナタハ カミヲ シンジマスカ?

以上です。

 

 

本日は「文化の日」読書週間の中心の祝日。それはさて置き本に没頭の日々を。

慌ただしい

9月は慌ただしかった。家のリフォームを終えるも束の間で、月末頃には、通院しているクリニック、授業料納付手続きやら皮膚科へも行かなくてはならず、日程の調整に煮詰まっていた。本当は、ワクチン接種の予約もしていたのだが、オミクロン株に対応した新ワクチンの接種がすぐ後から始まるということで(ニュースで知る)問い合わせて、一旦キャンセルをした。問い合わせると、既にそれ(新ワクチン)にも対応されていて、どこにも告示されてはいないが(地元新聞には記事になっていたかもしれない。未確認)、新ワクチン接種の予約は、何日から受付が始まり、何日から開始されますと、説明を受けた。接種券は、そのまま使えるとのこと。実によく対応が行き届いていると感心した。クリニックの方では、年に一度、市役所で更新しなければならない手続きがあって、必要書類を受け取る。

 

序でに

秋学期も始まり、軌道にも乗り、落ち着いたところで、市役所へ。その序でに図書館へも行った。もちろん、何冊か借りてくるつもりで。ということは、2週間後までに、返却にまた行くということ。冬になったら難儀だが、ひとまず良い傾向だ。路線バスで往復1時間かかり、運賃も往復で600円。停留所から図書館までは、徒歩で10分くらいかかる。平日の午前だったが、各テーブルに1人は座っているかいないか程度の割合で人がいた。室内は静寂に包まれている。そんなに大きな図書館ではないので、ネットでサイト内検索しても、ない本も結構ある。それでも行けば、知らないいい本が沢山。家では得られない静けさ、好奇心を刺激する数々の書棚、それぞれ本に没頭し他人に対して不干渉な装い。ぐるっと見て回り、一冊手にとった。テーブルの席に1人座り、1時間くらい没頭して読み進めた。『取材・執筆・推敲 書く人の教科書』。曲がりなりにもこうしてブログを書いている身として興味を惹くタイトル。文面は、大変読みやすく、スラスラと読めた。決めた、これを借りよう。480ページあるのだが(4cmくらいの厚さ)そんなこと苦にならぬほど、読み進めていける。自宅においては、授業の課題レポートの作成で4日間ブランクが空いたが、大体1週間くらいかけて読み終えた。

 

 

授業で使う本の担当章のプレゼンテーション作成

さて、その授業で提出のレポートであるが、指定されたテーマとする本の担当する章を割り当てられて、それを図式化してプレゼンする為のまずは、スライドを作るというもの。PowerPointを使って作成するのだが、これが、大変私を駆り立てた。というか、割と簡単にできてしまった。取り組むに当たり、仕事をするような心構えで臨んだ。こんな機会でもなければ、やらないことだろうが、この大学では、こうしたプレゼンをこれまで他に2つ作っていて、良い経験をさせてもらっている。大変有意義である。

 

ワクチン接種

10月も末、ワクチン接種を受ける。副反応は、翌日に現れた。体の強張りから発熱へと経過を辿り、熱が治ったところで、頭痛と体の痛みを緩和させる目的で、解熱鎮痛剤を飲んだ。1時間もすると痛みも和らぎ、楽になった。翌日は、ひと山乗り越えたような爽快感が。普段働かない珍しい体の機能が活性化され、最大限の努力で乗り越えた、その達成感とでも言えようか。

 

休館日

さて、その数日後、返却の期日の1日前に、図書館へ向かう。向かう途中になって、月曜日は休館日であることに気が付く。ハッとして、降りようという衝動にもかられたが、返すだけでいいのだからそのまま向かう。まず、ポストの場所へ行って確認し、広場のベンチに座って、もう一冊借りた本を読みかけから読み始める。お天気が良くて、日差しがあり暖かな日だった。まだ、人気もなく、お休みの日らしい閑散とした空気が流れていた。すると、ひょっこり、お年寄りの女性が近づいてきて「体を清めるお祈りをさせて下さい」、と。「観音菩薩のお祈りで」、云々。まだ、人の気配は他になく、また、人当たりも良かったので、そのまま素直に祈ってもらった。

 

『古代末期の世界』読了

10年くらい前だったか、もう買ってから何年も経っていた本、『古代末期の世界~ローマ帝国はなぜキリスト教化したか?』をこの度、読了した。タイトルだけ聞くと、バイアスがかかったような憶測を持たれそうだが、そうではない。実に客観的で、内容は濃く、当時の人々の残した言葉なども折り混ぜられていて、いわば歴史的文献からルポルタージュしたような現実感があった。この辺りの分野に(地中海、近東、中東)幾らかでも明るい方なら、読むのにそれほど難儀しないと思う。とても読み応えがあり、満足感を得られる本だった。当時のビザンツ帝国コンスタンチノープル)、西ローマ帝国ペルシャ帝国について、詳しく書かれてある。どういう過程を経て、カトリック教会、ギリシャ正教会イスラム教が、成立していったかに詳しい。それぞれが密接に関わっている。ご興味のある方は是非。お薦めです。

では。

千字文

ちょっと堅苦しく感じられるかもしれませんが、悪しからずよろしくお願いいたします。

教養などとおこがましい限りですが、日々精神に涵養すべく、努めております。厭になることも実際あるかと思いますが、皆、それぞれいろんな意味で戦っているのだなと思いが及びますと、負けてはなるまいと今日も一日、走り抜けるぞとの心境でスタートしています。

 

さて、皆さんは、千字文(せんじもん)という番号の代わりとしても使われる文字群をご存知ですか?正確には、

”重複のない漢字一千字を四言詩二百五十句で構成され、書道を学ぶもの、または、文字の教科書として、日本でも広く利用されてきた。”

 

ご察しの通り、中国のもので、南朝の梁(りょう)の周興嗣(しゅうこうし)が作ったものということです。

千字文ですが、『中世の書物と学問』という日本リブレットシリーズの一冊で、その中の項目「書を集める」のところで知りました。この本も大変面白く、また、注釈も邪魔にならなくて、読みやすいものでした。文字も単行本くらいのサイズで、ページ数も100ページ余りです。お薦めです。中世の人は(本を集められるような身分の人に限られますが)、書庫を持っていて、分類、所有していたんですね。そういったことがコンパクトに纏めららた本です。

 

ということで、千字文に興味をひかれ、2冊、千字文の本を入手することとなりました。写経用紙に筆ペンで細字の練習も兼ねて、夜、落ち着いた時、そんな気になった時に、意味も解釈しながら、書取りをしています。まだ、始めたばかりですが、二百五十句、まずは書き取ってみたいと思っています。旧字体なので、字だけみると、覚えられるかな?と思いましたが、書いてみると納得できて、すっきりです。

中国の天文の知識、世界観、自然観、そういったものが、四字で韻を持って組み合わされており、聖書の創世記にも劣らず、素晴らしく感じます。

本書の解説から、本書の趣旨を述べたところを引用したいと思います。

千字文という書物の言葉を一つの手がかりとして、中国の古典、あるいはその背後にある歴史などについて、広い知識を持っていただけるようにと、その言葉に関連することがら、エピソードについて、制約された字数の中で、できうる限り多く記した。ここに本書の特徴があると言える。我が国の精神文化の大きな一面を担ってきた中国の古典や歴史に対する知識の貧困化、あるいは漢字・漢文ばなれがしばしば語れれる今日である。千字文を読むことを通して、忘れられようとする中国古典や歴史への関心を多くの人に持っていただきたい、言い換えると、千字文を書道のお手本としてだけではなく、一つの読み物として見直してみる、これが本書を執筆した最大の動機である。

本書を補う意味で、合わせて入手したのがこちら。

始めの本(『千字文を読み解く』)が、読み下しで書かれてあって、四字熟語のように順に読んだ場合、わからなかったりするのを補えたところもよかったです。

 

日本にも、いろは歌、というものがありますね。

いろはにほへと ちりぬるを わかよたれそつねならむ ういのおくやまけふこえて あさきゆめみしえひもせす京

日本人には、元来歌心があるんでしょうね。この辺りがまた心ゆかしいですね。