アプリコットな日々

気長にブログ始めてます。日々の想いを綴る。

ナッジとは何?

『入門 行動科学と公共政策~ナッジから始まる自由論と幸福論』

を読んでみた。

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ナッジとは、「より良い人生はより良い厚生を得る」、との考えに基づいている。

本書における厚生とは、つまり「生のあり方」を意味する。

 

本の解説をするより、使われる用語を理解することで、私たちを取り巻く環境を理解しやすくなると思うので、ここで、本書に出てくる主なキーワードを説明したいと思います。

 

このナッジというツールは、行動科学(認知心理学社会心理学行動経済学[ これを政府用語で『行動インサイト』と言うそうです。行動インサイトとは、「行動科学による人の行動に影響を与える無意識のバイアスについての洞察・知見」を意味します。] の知見に基づいて、「人々の選択の自由を完全に保ちつつ、その行動に影響を与えるための民間や公共機関による介入(規制など)と定義」されるようです。

 

例えば、グリーンエネルギーの普及のために、とか、コンビニのレジ袋有料化、GPS、警告、情報開示、リマインダー、記入フォームの簡素化、食事メニュー、商品の配列、などに利用されている。

 

人々の選択の自由を保つとは、つまり「オプトアウト(拒否)」できるということ。

自動加入を初期設定として、加入をデフォルトしたものが、「オプトイン(同意)」として考えてください。辞書で調べると、本での使われ方と解釈が違ってくるので、ここでは、本で使われている通りの解釈で。実例なので、その方がわかりやすいし、間違い無いでしょう。

 

公的機関では、社会規範、社会慣行の強調として、また、今日的対策として、COVID-19パンデミックの対応などに導入されていたり、クレジットカードでも、説明責任とか、情報開示、禁止事項など、規約などで定めることで、限度額の超過を防いだり、手数料を抑えられるようになるなど、消費者にとってのメリットが挙げられます。厚生ですね。

 

「いずれも選択者自身が与えられるかも知れない害悪を防ぐために設計されている」ものということになります。

 

ナッジの例としては、他に、タバコ税、シートベルトの着用、ヘルメット、老後の貯蓄なども挙げられます。

 

目的としては、「こうした国家が国民に対し要求するのは、人々の選択が不完全だと理解するから改善のため行うもの」、ということ。

人々は、時にあまりにも事態に対して、楽観的だったり、注意不足だったり、現在バイアスがかかっていたり、そういった陥りやすい選択ミスを防ぐ目的で、”厚生”を目的に行っているんですね。

 

しかし、誤って欲しくないのは、ナッジは命令や禁止を補うもの、であって、禁止や命令それ自体ではないということです。

ここで、また、新しい用語が出てきます。

 

それは、リバタリアンパターナリズム、です。

 

リバタリアンとは、自由至上主義者を意味し、

パターナリズムは、父権的温情主義を意味します(人を正しく導くものとの理解でいいでしょう)。

 

つまり、リバタリアンパターナリズムとは、この両者を対立するものとするのではなく、両立させた概念であるということです。規制はするけれど、拒否もできるという自由も与えられている。

これが、ナッジ、ということになります。

 

もちろん、人を誘導するもので、初期設定として始めから規制をかけるもの、ということで、ナッジには否定論者もおられるようです。しかし、ナッジという概念を作り出すよりも、そもそも社会というものは、選択する仕組みで出来上がっている。それが、選択アーキテクチャというんだそうですが、つまり、「ある程度のナッジは避けられない」とも言えます。

 

また、こうした、客観的「善」の押しつけには、人間の尊厳における「問い」も起きてくることも必然でしょう。

 

ミルやカントの人間に関する尊厳についての考えも引用されていましたが、心に留めておかねばならないと思います。もちろん、ナッジというものは、ミルやカントの考え方との整合性を持たせるものでなければならないと主張されています。

 

これにより、次のような前提、仮説が必要となってくるようです。

 

”十分に情報を得ており、かつ様々な行動バイアスから十分に逃れられている限りで、私たちは自分自身の幸福を最もよく判断できるものであると見做されるべきである。” と。

 

直接的判断と間接的判断という言葉も出てきます。この理解にわかりやすい例が示されていました。

 

アンはリンゴが欲しかった。目の前には、黄色い箱にリンゴが、赤い箱に梨が入っている。しかしアンは、赤い箱つまり梨を選んでしまった。

 

アンが欲しかったものはリンゴ。それが直接的判断で、しかしアンは赤い箱を選んでしまった。これが間接的判断として、解釈するようです。

 

しかし直接的判断自体にバイアスがかかっている場合もある。そうなると、それ自体が、間接的判断となる、ということらしいです。例えば、健康に良いもの(直接的判断)、として、チョコレートを選びたかったとする。しかし、必ずしもチョコレートは、健康に良いとは言い切れない。といった解釈でいいでしょうか?

 

「ナッジの失敗」ということもある、とあります。ナッジ自体に問題がある場合です。その場合は、新しい知見に照らして、直していかねばなりません。

 

と、ざっとこういった内容でした。

 

この本は、アメリカ人によるもので、例の妥当性とかも、日本と必ずしも合致するものではないはずです。

また、マイナンバーカード普及のさせ方などは、その失敗の最たるもの。

他にもあるあるなのではないでしょうか。本書を読んで、改めてニュースなどに触れれば、新たな発見があるかも知れません。

 

本記事が、少しでもお役に立てたなら幸いです。

 

 

では。