唐突ですが、悪いことする人って、嫌われるもんなんですよ。悪いにも程度ってものがありますが、仲間はいるかも知れないけど、普通の人からは避けられるもんです。間違いない。悪いことする人って嫌われる。
さて、そうして避けてるわけだけど、しかしまた何か合わない人っていますよね。
ところで親類というもの、大体、祖父母から下って親の兄弟、その子ら(従兄弟達)、引いては、その子らの結婚に派生する相手側の親類達と、そんなところだと思いますが、まず、兄弟からして、果たして、性格の似た兄弟っているだろうか?ちょっと頭の中で研究してみたが、兄弟ほど性格の違うものはない。顔は似てるのに。親ってなんだろうね。私は親になったことがないからわからないけど、似たもの夫婦ってよく言う。ほんと、夫婦になると似るんですねぇ、これが見ていると。何か特有の絆みたいなもの育まれるのでしょうかね。
さて、うちの親類には、母方、父方双方とも皆夫婦仲がよく、離婚っていうのがない。だから、集まるとアットホームで温かみがある。うちの兄弟以外、皆世帯持ち。うちはそういった意味で、不出来な家庭だったんでしょう。第一、親自体が子供を育てるって意味を未だに分かっていないのと、今更言ったところで絶対認めないだろうしもう遅い。大人の自覚がないんですよ、と言ってももう後期高齢者だから、子供に帰るというのも仕方ないことなんでしょうけどね。ずるい人だ。全部、子供に押し付けて。どれだけ苦労したことか!!
ものには順序ってものがあるんですね。この父の母、つまり私の祖母と父の強い絆。それはそれは強力な愛情で硬く結ばれた絆だったのです。どんなに悪いことをしても、この祖母より先に神様も死なせることはできなかった。祖母は、うちで引き取り3年間介護の末入院し、しばらく後、息を引き取ったのですが、その3ヶ月後、父は事故で亡くなったのです。わずか3ヶ月後にですよ。死んだ人のことは悪く言えないものですが、その父もまた哀れだった。それでも?だから?人には恵まれていた。晩期は人間更生もしていた。何か幼い頃ちょっとした事故があったらしい。それで頭がおかしなところがあったことは見てとれた。しかしならず者はならず者。その気がある者にはピンとくる。
まぁそんなわけで、皆、歳をとり、命の灯火が一つ消えまた一つと、そして先日また一つ葬儀がありました。良い思い出は沢山ありましたが、式には私は欠席し、母と弟が行きました。帰ってきてすぐには、何も言いませんでしたが、「どこで葬式があったの?会館?葬儀場?」と聞いたり、「誰か泣いていた?」などと聞き出すと、「それがね、」と話がポンポン出てくる。
翌日、葬儀に上がった花を始末するのに困ったようで、わざわざ、遠方からうちへなぜか花を従兄弟が車で持ってくることに。昼過ぎに来て、久々に対面したのですが、何か古い友達に会ったような感じだった。子供の頃、仲が良かった。それ以来、法事の時以外顔をあわせることがなく、大勢の中だから話す機会もなかった。
さて、ようやく、一段落つき、母も気持ちが落ち着いたんでしょう。葬式の模様をあれこれ話し出した。私は前々から、自分の葬式は家族だけで済ませて欲しいと言っていたのだが、それをどこまで気に留めてくれていたかは知らぬが、私が改めてそれを言うと「そう。お母さんもこの度葬式に行ってつくづく思った。お母さんの時も家族葬でいいから。」「うん、家族葬で十分だよね。私も家族だけでやってくれればいいから」「家でね」、と話の上だが互いに確認をし合った。
