
全ては終わった。あとは天命を待つのみ。
全ては終わったのです。私の人生もある意味終わった。
終わったことは振り返らない。ただ前を向いて進むこと。
振り返ったところで何がわかる?だってまだ残りの人生があるのだから。
全ては終わった時に意味をなす。だから悔いのないよう生きるだけ。
全ては終わった。色々あった。
それに何の意味があるのかな?良かったことであるよう過去を裏切らないこと。
自分を裏切らないこと。そして他人も裏切らないこと。
自分を裏切らないということは他人も裏切らないということだから。
決して諦めない。希望のない未来はない。生きるとはつまりそういうこと。
これまでいろんな人に助けてもらった。感謝してもしきれないほどだ。
偶然であり奇跡でもある。出会いとは不思議なもの。
私は他人を悪く思わない。悪く思うほどに比例して心から遠ざけるから。
恨まない。だって心が捻くれるだけだから。
すべての人に人生があり未来がある。
聖書にいう
”なぜなら神はすべての人に等しく日を昇らせて下さるのだから”。
一つ確かに言えること。
すべての人には人生があり未来があるということ。
すべての事柄には、時があるということ。
行いがあり終わりがあるのです。
世界に目をやれば今もなお戦争が起きている。
かつての資源が目当ての戦争も今はイデオロギー剥き出しの戦争だ。
一方的であり、開き直って憚らない。
いよいよ正体露わにといったところだろう。
それでも世界は平和を求めてる。それが人類の永年持ち続けてきた希望だから。
人類は自由を求めて進歩した。しかしどこまで自由を求めるのだろう。
とうとう男であること、女であることを否定しだした。
この世には、性別が二つある。男と女である。
だが詰まるところ人類にとって子孫を残せればそれで良いのであって、
あとは男だろうと女だろうと勝手だろう。
あとは好きか嫌いかの問題だ。
それとまた物の本によると正常と異常とは数の問題であるだけだそうだ。
あとは知らぬ。
生きざまは死にざまだ。
人の人生を乱すものは、それ相応の報いがある。
ある一つの事例を挙げる。
ある日私は父の大好きなビーフシチューを作っていた。
別に好きだから作ってあげていたのではなく、
たまたま作っただけである。
グツグツ煮ている間、録画しておいた名探偵ポワロを見ていた。
その回のタイトルは「死との約束(約束された死だったか?)」だった。
次の日父は仕事中、事故で死んだ。
これには予知夢や想念も絡んでいる。全てがここに終結された。
これで私は全てから解放された。全ては終わった。
私の人生の一幕が閉じ新しい人生の扉が開かれた。
世の中には時があり、始まりがあり終わりがある。
あくせくしても仕方ない。時が来るのを待つしかない。
「ゴドーを待ちながら」のような永遠に続く退屈な日々ではなく、
(これを読んでいると無性にどうしようもない田舎者が想起され、読むに耐えないので、解説やあらすじで解釈を間に合わせてます。あしからず)
何かしら実のある人生を送りたいものだ。