《新学期に向けて》
この4月から3年次春学期が始まる。おやすみ期間中は、ゆったりと過ごした。読書に時間を割けたのは有意義だった。まだまだ読みたかったけれど、体力、疲労などなど限界があり、無理できなかった。
勉強が始まれば、また集中モードに切り替わるので、早く始めたいところ。教育期間中(10代)は、ほとんど勉強らしいことはしてこなかったが、20歳になって、なぜか勉強を始めるようになった。そんな中、弟の進学の時に、色々支援したのだが、進学に際しての資料の中に大学のリストがあって、これなら勉強すれば、、というのがあった。今は筑波大学に吸収合併されたとニュースで知ったが、当時は筑波の学園都市にあって、図書館情報大学という4年制の大学があった。夢で終わったが、今から思えば、まだ夢だけでも持てたのは良いことだった。体の問題もあって、今から思えば、絶対無理だった。体の問題だけでなく、境遇がそれを許してくれなかった。その呪縛から解放され始めたのが、父の死。仕事中の船舶の事故で、貿易港で大型貨物船の過失により、船が沈んだ。スウェーデンの保険会社から保険が下りて、余裕で進学できるだけの金額を分与され、こうして今に至る。因みに学部/学科及びコースは「IT総合学部IT総合学科ビシネスコース企業経営プログラム」。働いたこともない私が、突拍子もないことを、と思われそうだが、実は、祖父が会社を経営していて、幼少の頃から中学にかけて職場で育っている。半ば親代わりになって育ててくれたのであった。風格、人望、頭脳全てを兼ね備えたような人物で、祖母も素晴らしい人で、亡くなって久しいが、今でも人生のお手本だ。まだ私が生まれる前、母が結婚前までは、運転手付きの社長だった。そして、石油会社の出光が進出してきた時、祖父に社長をと任せられた。ガソリンスタンドである。祖父は資金がなかったので、専務となって、別に社長を依頼することに。そこで経理に雇った者が山師で、裁判沙汰に。自殺者も出る大不祥事となった。私が育った頃は、株式会社兼ナショナルの販売店を経営。定年の頃に、今度はイワタニが進出してきた際、これまた祖父の会社に、販路を広げるため、顧客の取引をして、会社の借金を棒引きしてくれただけでなく、ある程度のお金も受けて、尚且つ、何かの役職でイワタニで少しの間働くことになる。祖父は心臓が悪かったので、間も無く隠居し、元の土地(ニシン場で栄えた町)で、家庭菜園をして余生を送る。祖父がすごいと思うのは、今から35年余り前から、パソコンを使っていたこと。仕事に使っているだけでなく、プログラミングもやって、ゲームを作って、私たちに遊ばせてくれた。ゴルフ、テニス、などなど。当時は記録媒体はカセットだった。新聞も全紙を読んでおり、これからは、ソフトの時代だぞ、と言っていた。イワタニで働いていた時に、あるエピソードがあって、パソコンを使ってシステム化されていたらしいのだが、それが不具合を起こし動作しなくなった時、祖父が全部直したという。すごいと皆んな驚いていたという。誰も直せる人がおらず、それに対し祖父は「今の若いものは、一体大学で何を学んでいるのか?」と疑問を呈していた。これが35年前です。日本はこれまで一体何をやってきたのか?DX化が進められているようですが、当の国が、マイナポータルはじめIT化が遅れています。信じられないくらい時代に遅れています。私はビシネスコースを学んでいますが、学部はIT総合学部です。他にテクノロジーコース、ITコミュニケーションコースなどがあります。本格的なようですので、どんどん社会に羽ばたいて行ってもらいたいものですね。
《病気のこと》
病気らしい病気はしていないが、体には、良性の大きな腫瘍があったりする。今でこそ健康ブームになっているが、今から30年前に、既に私達(家庭)はやっていました。今で言うスーパーフードとかフィトケミカルとかいうやつですね。体はずっと不調でしたが、2年前、心臓の具合が急に悪くなり、以来通院をしています。微小血管狭心症という病気で、更年期に現れる病気らしいですが、心臓は、30代の頃からずっと苦しかったのです。しかし、苦しいのと弱っているのとは、違うようです。今から思い返すと若い頃は、まだ弱ってはいなかった。今回の件で、エコー検査しましたら、かなり弱ってました。弱り具合は、実感として感じ取ってますので、合点がいきました。死ぬことはなかったかもしれませんが、意識を失うほどの辛さ、不安定な状態でした。何かの拍子にパタっと逝ってしまいそうな状態でした。
《英語》
英語は、毎日、CDでリスニングを心がけています。これも、色々試してきましたが、継続しないとすぐに忘れてしまう。ある程度のところまでになると安定するみたいです。今、中級レベルで安定してます。もう一歩というところ、、いや、まだまだかな?今学期から上級英語になる。もっと本気で取り組まないといけないな。
《お料理》
お料理と言えるほどのものではないですけど、炊事、お菓子作りは、若い頃からしていました。お料理って、ある程度の年になると要領を得るようになるのでしょうかね。私の場合、断絶期間というのがあって、それが結構なブランクでした。それからまた気が向いた時に、ボチボチ作り出して、Twitterに上げたりしていました。ところが、2015年の8月頃から、突然、物が食べられなくなり、精神科の診療所に31歳の頃から今も通院しているのですが、先生に相談しても、それは分からない、と言われ、誰にも理解してもらえず、食べやすいものを自分で作らざるを得なくなり、元々お料理が好きだったので、これを機に、台所に立つようになりました。そこで生まれたオリジナルレシピもいくつかあり、お料理も身についてきて、3年くらい経って徐々に治ってきて、それから体重も増加し、45kgから62kgまで太りました。食べる量は、それほどではありませんが、更年期のせいもあると思います。体重がどんどん減っていく時は、恐ろしくなって、それで無理をしてでも食べるようにしていました。それが、お料理を再開するきっかけでありました。ちょっと得意になってきた頃の2019年、クックパッドに初めてレシピを公開。現在まで28品公開しています。アクセス数もある程度あり、レシピの保存も結構してもらってます。毎日の励みになっています。クックパッドニュースになったレシピもあるんですよ。それが、その困難だった時に作ったレシピで、感慨も一入でした。
こちらが私のキッチンです。
《睡眠》
睡眠に問題を抱えていますが、診療所から処方されているお薬で、眠ることができています。ある強い衝撃を受けて(事故に近い)、睡眠障害となりました。お薬は精神病薬と睡眠薬の2種類を飲んでます。ともかくお薬を飲めば、ノンレム 睡眠も取れるので、眠れていると言えます。スマートウォッチで継続的に測定しているのですが、withings のsteel HR というウォッチで、フランス・ドイツにおいて、病院の睡眠の研究に使われていて、特許を所得している同メーカー製のAI が搭載されているウォッチなのです。とても優れています。お風呂の時以外は、ずっと装着しています。
睡眠時間は5時間55分、約6時間というのが多く、たまに7時間眠れたらハッピー♡
朝の7時に撮った写真。時計仕様です。黒い部分はディスプレイになっていて、リアルタイムの心拍数などが確認できます。下の方のメモリは、目標活動量がパーセンテージでわかるようになっています。スマホのアプリと同期して、各測定情報を記録、確認できます。
”明日死ぬかのように生き、永遠に生きるかのように学べ”
ーガンジーの言葉ー
似たような心境で生きていこうと思っていた折、この言葉を見つけた。言葉にも縁ってあるんだな、と思った。 今は、少しよくなってきたから、養生してますが、生きるか死ぬかの瀬戸際の時は、まさにこんな心境だった。敢えてこうはなりたくはない。無病息災、溌剌と生きたいものです。