アプリコットな日々

気長にブログ始めてます。日々の想いを綴る。

日本人としての宗教の変遷〜読んで良かった本

ここ一週間ほど脳疲労を起こし、まだ抜け切れていない。睡眠をよく取れば回復しそうでもあるが、今日ようやく7時間くらい眠れてこうして書いている。

そんな中、1冊『「日本人の神」入門 神道の歴史を読み解く (講談社現代新書)』を読んだ。求めている事柄に応えてくれる本だった。私が知りたかった事。

 

 ・今の神社ってどういうルーツがあるの?神との関係は?

 ・この著書には本地垂迹についてどういう話が書かれているか。

 ・神仏習合についてももっと知りたい。

 ・そして、明治になってどう政策として取り込まれていったか。

 

当然、古事記風土記、仏教の考え方、その他様々敬服するばかりの骨の折れそうになるくらいの参考資料を引用、説明し述べられていくのだが、この著書は何を言っているのか、或いは言いたいのか、そして今のありようをどう捉えているのかを読み取る、これもモチベーションとして最後まで読ませた。

特にこういった本というのは、ややもすると反発を覚えるものもあるかと思う。しかしこの本は、”我が意を得たり”、だった。

この本は、5年くらい前に買っておいた本で、まだ読まずにいた。この度、お休み期間に入り、古典に手を伸ばすこととなったのだが、気になる本があって、道草に、これもなんとなく揃えて買ったものだったのだが、『中世の神と仏 (日本史リブレット)』という本があって、まずこれを読んで、そういえば神社の本を買ってあったな、と思い奥の方を探した。まっさらな状態で、まだ読んでないことが確認される。売り上げカードがまだ挟んだままだった。

古事記』『風土記』『大乗仏典』『原始仏典』、これらは特別に化粧箱入り上製本のものを買っており、ゆとりができた時、読もうと思っていた。今、こうして日本人がどう神様を捉えてきたかを窺い知ることで、これらの本も進んで読んでいけそうだ。

前出の『中世の神と仏』も大変興味深く面白い本だった。どちらもかなり内容がリンクしており、とても意味のある”偶然”であった。国の有り様、神様の捉え方、日本人としてのルーツ、変遷を知ることは大事なことだと思う。

読んでみると、日本人は神というものをしっかりと受容してきたことがわかる。それは仏をゼウスに置き換えても違わない認識としてーー。どこの国にも英知を持った人物は少数であったかもしれないが存在するもの。そこから普及することもあれば、逆に、権力によって制度化されることもある。まさに戦前の日本がそうだった。

今は神道と仏教は分離されているが、普及した時代はそうではなかった。それが神仏習合。神社にお寺があったり、お寺に神社があるなど今から見れば異様に思えるが、心の有り様としては、その方が普遍性があり、日本人にもこうした慧眼性があったことは誇れることだ。

しかしそれはどこの国でも起こったことだった。キリスト教の布教によってである。日本はそれが、早い時期に仏教によって至るわけだが、中世にそれを逆転させ、「神本仏迹説」としたところから全ての過ちが??? いずれにせよ、我々は、そうした文化の上にある。また補足しておくと、これは習合においても、”仏(仏教)”と”神(神道)”には役割分担があって、仏は死後の世界、神は現世利益だったということ。これは今も変わらないですね(お葬式などがいい例。また”人を神として祀る”、というのは神社特有の考え方ですね)。

ということでした。以上です。