アプリコットな日々

気長にブログ始めてます。

人の心を知りたければ漱石でも読め!

 

、、、と漱石の小説を読んで思った。全部書き尽くされているではないか。漱石に限ったものでもないだろうが、ほんの数冊いや5作品、読みかじったくらいなら10作品くらい読んで、そう直感したぞ。Kindleのアプリがお持ちの端末に入れてあるなら、気の利いた読むに便利な漱石全集のKindle本がある。

国語辞書を調べると、例文としてよく漱石の文が出てくる。例えば、「迂闊」を調べたとする。すると、1、2、3と意味合いが微妙に違う解釈が出てくる。そこに夏目漱石彼岸過迄「最も迂闊の様で、最も簡便な又最も正当な方法で」”と出てくる。さてそれは、どんな文脈で使われているか知りたい。そんな時、Kindleは便利。検索機能があるのと、また本書籍は、目次も気が利いていて、標準機能の目次の他、主要作品のリンク付き年表も付いている。

日本の文学を読んでいて思うのは、全てとは言わないが、単なるストーリーだけではないという事。私がはじめて漱石の本「それから」を選んで読んだのは、高校の夏休みの読書感想文の時であった。何を感じて、何を書いたか全く覚えていないが、面白いという感銘だけの余韻は残ったことは確かだ。一応、恋愛ものであったことは記憶している。その後、その作品は、「三四郎」、「それから」、「門」と、” それぞれが相合して一長編を構成するように仕組んだーー(漱石)” ものということを知り、また最晩年の「彼岸過迄」においてもそれが試みられているそうだ。

さてそれで、まだ若いうちに「三四郎」と「門」も読んだ。男女の話だったこともあり面白かった。しかし、それはストーリーとして。それらはそれきりで、大人になってからは、再読していないので、なんとも言えないところもあるが、他の作品をパラパラ読むと、艶かしいまでの美しい描写、リアルな心理、その上に展開されるストーリー。登場人物、そしてあらゆる描写は、完成形と言ってもいいと思う。知的さと鋭い洞察。

社会心理学で学んだことだが、漱石と鴎外を比較して、漱石は、本音の世界を描き、鴎外は建前の世界を描いた(多分そんな講義だったと思う)と「坊ちゃん」を例にとって解説していた。鴎外は「舞姫」だっただろうか?(不確かです)。多分そんなところに面白みがあるのでしょう。

私も大分大人になった。改めて、漱石を読み返してみようと思う。いやもう読み返し始めている。漱石は、明治という時代の空気を感じるのにも良い。当時としての現代小説であったのでしょう。しかし、人間の心理はいつの時代も変わらない。

人情モノとも違う、感動モノとも違う、それには、漱石の人間観に基づく鋭敏な人物描写と、それを巧みに操りストーリーが展開されるという面白さがある。これは確かだ。ジャンルとしては純文学となる。