アプリコットな日々

気長にブログ始めてます。

30年前に買った本、今愉し

失われた10年とか30年とか主に経済の面において言われたりしますが、私の人生においても、まんざら他人事なワードでもないのでありまして、しかしそれは、置かれた境遇での意味合いでして、その中で、七転び八起き、心は大きく成長したかのように思われます。言うなれば、脱皮がなされた、といったところでしょうか。自己啓発なるものは受け付けませんが、自ずとその時期みたいなものが定められていたープログラムーされていたのでしょうか。

人生にはなんらかの制約がある。それは家庭であったり、学校であったり、社会であったり、政治であります。人は、自由を求めるけれどもそれにも限界がある。今の政治が酷いから認めたくない気持ちもわかるが、世の中すべて”政治的”である。果たして政治家にその自覚があるのか?あまりにも好き勝手に物事を決めすぎだ。自覚があるなら意図的だろうし、ないならないで非常に憂慮すべき事態である。

マイナンバーカードをどうする?だの、国民の大切な預貯金をどうか投資に促すよう要請?だの、何とまあ、認識が浅いと言わざるを得ません。少子化対策についても、根本原因が分かっていないというか、税金を取ることしか考えていないのでしょう。

話が遠回りになりましたが、書きたかったのは、政治の話ではなく、この30年の間に、私は、何を求めて生きてきたのか、という事でありまして、その原点は、30年前にありました。興味の対象の基本路線は変わっていませんでしたが、何しろ、”失われた”30年ですから、ブランクがあるのです。今、書棚から、その頃に買って読みかけの本を手に取って、最初から読み始めたところです。買った当初は正直にいうと、あまり良く理解できなかったんですよ。ある程度の予備知識が必要な本だったんですね。本に翻弄されるのが嫌で、途中で辞めたのでしたが、今ならしっかり受け止められる、そんな期待を持って読んでます。邦題は『動物論―思考と文化の起源について』となっていますが、学問書ではなく、深い知識と洞察に基づいたエッセイといった感じ。(原題は『Thinking Animals - Animals and the Development of Human Intelligence』)今現在は、古書としてしか手に入らないようですが、図書館にはあるかと思います。お勧め本というより、個人的な意味で、タイムリーな本だったというだけの話です。面白く読めそうなので嬉しさから、ちょっと書いてみました。以上です。