全容が掴めない中、こうした文書を公開する事でどれだけの影響があるのかわかりませんが、多くの方には、知っているようで知らない事実になるのではないかと思います。私はこの件で、統合失調症を患うようになりました。今も寛解しておらず、手当てを受けています。
この文書は、2008年、まだ記憶が定かなうちに、記しておこうと書いたものです。
私は、2つの世界を生きているようなところがあるのですが、その一つが、日常のごくごく普通の世界、つまり現実世界と、霊的世界、予言、生まれ変わりの世界です。日常のごくごく普通の世界は、本ブログもそれに当たりますが、もう一つの世界は、予言の世界であります。なぜ、私がこんなにいつまでもマークされているか、その一つ は、前世であります。前世と言っても芸術家や歴史上の人物程度なら、こんなことにはならないでしょう。問題なのは、神に関する話だからです。私には、まだ確信はありませんが、イエス・キリストだとも思われているようです。これが ”釈迦だけ” なら、ここまでのことにはなっていなかったものと思われます。このあたりについては、独白という形で、いずれ近いうちに、私の現段階の見解というものを書いて参ろうと思っております。まずは、頭を壊されたその一件についてを、以下に記します。後もう一点、肝心であったことを添えておきます。これにはテレビ・ラジオ界も連動しており、私は、それに強く反対をしていました。それもこうした事態を招いた原因でありました。この経緯についても、今後詳しく述べて参りたいと思っております。
2005年4月6日か8日 、定かではない。札幌の仮住まいを引き払い、自宅での生活 に戻る。1年ぶり。
これで解放されたと、自宅に戻ることに救いを見いだしていたが 、敲打の音 、止まず。
家にドンドンという強い音 。振動感を感じるような 。自宅に戻るまでの間に、ノック激しくなり、幻聴をもよおすようになる。恐怖とノイローゼ。
夢は明るく。帰宅後翌日か、数日に、ハクチョウの群れが、上空を飛んでゆく。祖父と祖母(故人)と私 、一 緒の席についている(夢で)。
それでも、ノックは、止まなかった。ひどくなっていった。
幻聴はいよいよ確定的。振動音も時おり連続して強くあり、身体に障る。死ぬかと思った。抵抗力すでになく、危害加えられるまま。11月まで、ひどいのが続く。
もう限界に達した時、母に精神科の診療所のお薬をもらいに行ってもらう。すぐに効きはじめ、かなり幻聴は止む。ノイローゼは残る。幻聴のノイローゼ。
その間、11月9日、幻聴音(実際の音も含む。どんどんと叩く振動音のことを含む)、継続する中、ピアノを買いに行く。ビアノを弾く内、幻聴止まるようになる。
顔色悪く、浅黒く。顔色は、白いほうだったのが、浅黒く、皮膚も堅い感じになっていた。
睡眠は、まともに寝れていない。
目が覚めたとたん、まだ夢うつつの段階から、幻聴音始まる。掛け声のようなもの(に変わっている)。一年後の11月9日、「花の歌」が弾けるようになる。2006年。
痩身。帰宅時、体重、身体が浮くような軽さ。恐怖を覚える。全く重力がかかっていないよ うな。
1日三食、出されるまま食べた。体に負担な物もあっただろうが、食事を摂る。2007年には、10年来40kg台であった体重が、50kgまでに回復する。
帰宅に至るまで。
仮住まいの4月6日としておこう。確か6日であったように思う。気配変わり、家から出ない。身寄りなく。
様子を伺う意味でも母にまず電話してみる。家ではない様子に聞こえた。
もう一人、以前にお電話でもお話をしたことのある、高山さんという方に、助けを求め電話する。メールを出すことで、連絡がとれた。すっかり人が変わられたようなご返答。ここもまた同じか、と諦める。ただ、助言はあった。ここで幻聴、幻覚、の話が出た。私の身体(こころ)が気になるようで、今見ませんか、と言われたが、その必要はその時点ではないと判断 ができたので、自分で対処することにした。しかし、この晩、その高山さんかのような声で、幻聴が起きる、「ベッドの下に(中 に)死体がある」と。そして、幻覚も現れた。部屋に もやがかかったような 。異様な感覚。この時はすでに緊張は限界を越え、覚醒をした状態。 敲打の音激しく。ゆとり与えず。この日の経過は、昼間のそういった電話以後ーー昼間の電話は、この他、警察、それと、ひとり被害者ということでお電話がよくあった人とも話すーー。 夜になり、怪しげな 気配 、現実味を帯び、この時まずもうひとつ、何事かを悟ったことだろうと思う。隣接する建物の側の窓の下、外からライトの明かりが照らされる。そして笑い声。それは何度も起こった。
私は、道路に面した窓を、ベッドに座ったまま、ただ、じっとして見続けていた。カーテン は引かず、緊張は続いたが、ある時刻を過ぎたあたりから、緊張は緩む。11時を過ぎた頃か。
それから、一 応、床につく。眠れず、そして、異様な感覚に襲われ、幻聴と幻覚を体験する。
その前に、母が、どうにかなった。弟もどうにかなったのか、という不安が襲う。
深夜近い頃、母に電話してみる。(声が違う。)誰かが、母に成りすましていると思った。 母の真似をさせられているのだと思った。
殺されたのだと思った。翌朝、母に、写真を送ってもらう。まだ、別の人物がなりすましているものと思っている。
携帯のカメラで、写真は、すぐ送られてくる。背景には、カレンダーがあるのだが、私のほうの携帯では、モノクロで、画像も粗いのかもしれなく、実のところは、4月であるのが、2月としか見えず、今のものではないと思い込む。何があったのか、知る為に、弟に電話する。
仕事中だという。いつもなら、私が電話の場合、返事もせず切るのが常なのだが、 不機嫌な がら、返事がある。しかも、別人。
母は記憶がなくなっており、別人のようで、弟も誰かが代わりになっている。
そう確信をする。すぐには家には帰れない。気味の悪い感覚。
母が、記憶喪失になり、弟は殺され、別人がなりすまし、ただ父が漠然として居る、そして、私を待ち受けている、といった状況認識。
警察へは、春に転居の節目に連絡をとったきりで、後は、頼れるようなものではなくなっていたので、一切、電話はしていなかった。夏に一度、なにかよっぽどのことがあって、電話 したことがあったが、この時は、担当者というのでなく、出た方が、事情を察して、応対し てくれた。事情はよく察してくれていた。
事態がまた、おかしくなって、状況は、対処するに十分であったはずだが、警察も最 後には 国家の側についた(これは、道警の生活安全課に電話して話をした際の事。最後に「結局、我々もお役所だから」と言われた。”話をした際”、と言っても、それは穏やかなものではなく、それは憎しみに満ち吐き捨てるような口調で、到底話が通じるものではなかった。自然、こちらも喧嘩口調になって、向こうも相変わらずな応対だったが、最後に私が「いいんですか?アムネスティーにもニューヨークタイムズにも被害報告しているんですよ」というと、少しの間を置いて「、、、結局我々もお役所だからーー。」とようやくまともそうな返事が返ってきた。それだけでも、まだまともな相手だったのは良かった。)
それはわかっていたが、電話した。自宅のある所轄署にも、札幌の警察にも。
盗聴の検査をしてみては?というので、依頼する。翌日、検査。検出なし。5万 円。
そして、翌日、もはや、いられなくなり、帰る事にする。信じられるのは、夢だけだった。夢こそ真実。
気持ちをとり直 して、母に電話。
母が、母に戻っていた。頭が痛いという。すぐに迎えに来てもらう。
2008年記
※()内は、公開するにあたり、補足説明として加筆したもの。