アプリコットな日々

気長にブログ始めてます。日々の想いを綴る。

文学についてのメモワール

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 10代の頃、幸いにも、お互い強く共鳴し合う友がいた。何かの因果の巡り合わせか?今から思えば貴重なことだったと思う。当時も「意外と皆んな、親友っていないよね。」とお互い自認しあっていた。

精神的な渇きというものがあると思う。この場合、自分に合ったものを見つけるのは、案外たやすいことかもしれない。それぞれだと思いますが、それは音楽アーティストだったり、そのエッセイ、言葉だとか、歌詞、メロディーだったりするのだろうと思います。

20代の頃、私はいわゆる読書家ではないが、こうした意味で、本との出会いがあった。心の友である。そうしたことも、幸せなことだった。そこらの人間関係では得られない喜び、というものです。それが、太宰治であったり、ドストエフスキーだった。(当時としては、私は太宰にとって一番嫌な読者だったかもしれない(笑)。太宰の作品に「眉山」というのがあり、35歳を過ぎて、読み返している時に見つけたのですが、当時の自分が重なり気恥ずかしくなりました。)ドストエフスキーで言えば、自分が思っている事と同じことが書かれてあることに感動し、ほぼ全作品を読みました。当時は心の友でした。今は、ある意味超えることが出来たかな、なんて思ったりしてます。一つ、今でも心に留めておきたい言葉、”全ての悪徳は怠惰から始まる”、これは、肝に命じておきたいと思っています。

10代の気持ちのままでいられる人というのは、幸せな人だと思います。そうした人は、気持ちが若く、気っ風がいい。

私の場合は、よく理由はわからないですが、精神的な脱皮のようなものが起きて、”名を変えて改まる”のではなく、”改まるから名を変える”、例えば、僧侶とか、武士なんかが名前を変えていく、というものに近いかもしれません。それが、自然に起きた、ということになるでしょうか。

所謂、聖書で言う”盲人”、で例えるなら、35歳になる年までは、いくら聖書が大好きでも盲人で、その年を境に、”開眼”をした、ということが言えるかもしれません。まだ次の段階があるのかもしれませんし、間違っているかもしれません。しかし、物事の捉え方、文学の理解の仕方がガラリと変わりました。

それを以前と以後で分けますと、以後で読んで面白かった本は、人類学者T・ヘイエルダールの著書『コン・ティキ号探検記 (ちくま文庫)』、同じく『アク・アク』。これによって、人類史というものを一続きの実感を伴った感覚として得ることができるようになりました。最近では、ダフネ・デュ・モーリアの作品群(小説)なども面白かったです。オカルトとして捉えられることがある作家ですが、私には丁度良かった(笑)。これらも”出会い”でした。

今は、史実にまつわる本を読むのが楽しみとなっています。日本の古典の世界を堪能したいと思っています。

 しかし、気が塞いだ時など、励ましや支えは必要です。

なんとなく、絵本も読みたいなと思って見つけた一冊。

絵本ではなく、12のメッセージに絵が添えられている形になっています。

『〜世界でたったひとりの大切なあなたへ〜12の贈り物』

12の贈り物

12の贈り物

 

 大人にも、いいえ、大人だからわかる言葉なのでしょう。自信を与えてくれます。

ここでついでにご紹介をしておきます。

  以上、ご参考まで。