アプリコットな日々

気長にブログ始めてます。

地神様が起こした怒りの狼煙?天災人災大変な年明けに

年明け早々、ショッキングな天災や航空機事故が2日続けて発生しました。地震も旅客機の事故も他人事ではありません。これといって特筆すべきこともない正月でしたが、この3日間の日記は、地震と事故の記述でページが埋まりました。以下、加筆修正してこの度の三ヶ日の間の日記を記します。

2024年

1月1日 月曜日

昨晩の就寝は[23:55]頃。今朝までの睡眠の測定はなし。5時半起床。コーヒーを飲みネット関連を一通りcheck。朝食には、お正月料理を。(雑煮、旨煮、黒豆、昆布巻き、かずのこ、なます)。最小限のルーティンを済ませ、お風呂場は午後に洗う。午前は何もせず過ごす。年賀状の配達は午後3時頃だった。昼食事。食器洗いを済ませ、お風呂場を洗う。外の郵便受けに入れる可能性もあるので、配達を待ってから仮眠する。15時~17時頃まで。起きて、下へ降りていくとテレビで大地震の報道が。能登半島震源とするマグニチュード7.6 の地震が16時11分に発生した。断続的に大きな揺れが続き、津波もある。テレビでは夜通し報道を。

 

1月2日 火曜日

今日も睡眠の測定なし。一応眠れてはいる。夜が明けて昨日の地震の被害の全容がわかってくる。断層が広範囲にわたってズレを生じ、縦に3m隆起し水平に1mほど動いたという。火災や家屋の倒壊など地震の激しい跡を残している。死者、ケガ人多数。この度は、長周期地震動が起きたそうだ。(ゆっくり大きく揺れ、互いに共振し合い長く揺れる現象)。昼は、旨煮の余った材料で炒め物を作る。お風呂は早めに済ませた。洗濯を終え、夕方5時、横になって1時間半くらい眠って、さて、下へ降りていくと、今度は羽田空港での航空機衝突事故の報道が。千歳発羽田行きの旅客機と海上保安庁の飛行機が衝突し、激しく炎上。旅客機の方は、乗員乗客全員脱出で無事。保安庁の方は、犠牲者が出た。何という年明けか!

 

1月3日 水曜日

ようやく睡眠が測定されるようになる。三ヶ日も今日まで。明日から勉強らしいことを始める。のんびり過ごすのも今日まで。この三ヶ日はたっぷり休んだ。母と話しても張り合ってくるので気分が悪くなる。良い話も悪くなるので、さっさと部屋へ戻り気持ちを整える。怒りめいたものも自覚され「怒りの狼煙(のろし)」という言葉が心の中に現れた。のろしという言葉をこういう使い方をしていいのか電子辞書で「のろし」を出してみる(調べてみる)。(いつもなら、ネットで調べるのだが、この時は横になって休んでいたので、手っ取り早く電子辞書で調べたのであった。)すると、この度の能登半島が出てきた。この半島に「狼煙」と呼ばれる地域があるのだそう。その中で、禄剛崎(ろっこうざき)という灯台のある岬の名前が出てくる。さて、ちょうどその前に、X(Twitter)で、この度の地震の前と後の能登半島の沿岸を映した衛星画像の投稿があって、地震後、広範囲に渡って半島の沿岸で何かが隆起していた。辞書の中には「海岸段丘」という記述もあって(禄剛崎には海岸段丘があるのだ)、起き上がってネットで検索してみると、海岸段丘とは、巨大地震によってできるのだそう。(つまりこの説からいくと、ここは、巨大地震が悠久の歴史の中で、繰り返し起きているということになる。)この度の地震では、輪島市から珠洲市に渡る沿岸海域で、活断層が複数連鎖してズレを生じたのが原因だとテレビで解説していた。禄剛崎珠洲市にあり、能登半島最先端にある灯台。”怒りの狼煙"から思わぬ偶然を引き寄せてしまった。今日の昼寝の間には、もう流石に何も起きなくてよかった。

日本における天災とは、政治情勢が不安定な時に起きるようであります。摂関期へと移った時期、源平合戦の時期、明治維新の時期。現代では、自民党社会党と連立を組んだ村山政権の時の阪神淡路大震災、そして民主党政権下で起きた東日本大震災。そして、今、政治が揺れ内閣支持率も最低ラインへと下り、解散しようにもできない状態。政治と金の問題で煮えきらない自民党政権。そこへ起きた今回の巨大地震。まさに地神が起こした怒りの狼煙でなないでしょうか。「政治がダメでも日本は国民がしっかりしている」と故中曽根元首相がおっしゃられていました。国民がしっかりしている内は大丈夫だと。政治がダメでも、国民がこの苦難に打ち勝ち国を支えましょう!!