アプリコットな日々

気長にブログ始めてます。

文化と世相を考える。「文化地理学講義 <地理>の誕生からポスト人間中心主義へ」を読んで

唐突ですが、先日、ムツゴロウさんの訃報がありました。何かここのところ、偉大な方々が逝去されてゆき、不穏な世相と重なることで、より一層この時代に立ち向かってゆかざるを得ない覚悟というものを感じています。私達に今、何ができるのか。何が求められているのか、自らを省みて問うことも必要なことかもしれません。かく言う私はと言いますと、これまた、非常に辛かったりするのですが、そんな自分を棚に上げながら、世の中について考えるという行為をもって、自らを昇華させたまわんことを願わんとす、であります。

 

今日は、統一地方選挙の投票日でした。お天気はよかったのですが、風が強く、薄手のパーカーに帽子をかぶって、投票に行ってきました。投票率は年々下降し、50%を割っているようでありますが、まぁ、落ち着くところへ落ち着くでしょう。さて、最近『文化地理学講義』という本を読んだのですが、私達は、まさに、文化によって作られた地理上に生きている。なるほど、文化というものは、人が作ったものだが、人を作るものでもある。また自然とは、純然たる自然と、人と共生する自然、そして、作られた自然があると定義される。私達が生きている世界、生きる上で認識されるものと、されないもの、そういったものを全て含んだ世界、そういう漠然と意識される世界というのもを、本書は言葉、概念として再認識させてくれる。文化としての地理とは、極めて政治的であり、特権的であり、暴力的であると。その際たるものは、戦争なのでしょうが、日常も政治的であれば、教育も政治的でもあるでしょう。極めて学問的に捉えたならばですね。

 

形而上という概念も、何も神や霊魂のようなものを意味するのではなく、「西洋形而上学的」な捉え方というのがあるということを本書で知りました。これは、植民地主義や、女性差別などに繋がる前提的考えであり、本書では、殊にジェンダーの問題やフェミニズムについて、非常に明快な視座を与えてもくれました。最後には、ダーウィンのミミズの研究を引きながら、「文化地理学とは文化をとおした人間の活動が地表面に残す痕跡を記述する学問である」と解き、その心は、「わたしたちは有機体であると同時に、『地質学的生』なのである」、そして「地は生きる者たちに土地、温度、水分、時間などの機会と条件を提供する『コズミックな力』を有し、それによって生きる者たちを変容させつつ、生きる者たちの触発を受けながら、ともに何かになっている。脱領域化と再領域化を繰り返しつつ、刺激し、変容する大地の力(ジオパワー)と生あるものの折り重なりを読み解くことが、『文化』の地理学なのである」と結ぶ。

 

とは言うものの、私達は、今を生きなければならない。人間としての生があります。生活があり、文化があり、平和な社会に生きています。人間の心というもの、平穏であるよう願いたいものです。